だるまちゃんとてんぐちゃん

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アイドルタイムプリパラ32話「WITHとプリ×プリフェスティバル!」感想

ついにプリパラシリーズ初の男子3DCGライブが実現した『アイドルタイムプリパラ』32話。いやーーー非常に良かったです。プリパラに男子アイドルが果たして必要なのか、私はプリパラを好きでいられなくなるのではないかという不安は、自分にとっては杞憂に終わりました。WITHのライブはカッコよくもありキュートでもあり、プリパラらしい楽しさとにぎやかさがあり、総じて「凛々しい」と感じました。そして続くメイドゆい&執事らぁらのペアライブを見て、やはりキュートかつ凛々しい二人の姿に、ああどちらも等しく「プリパラアイドル」のライブなのだと、理屈ではなくそう思ったのです。それは何より映像そのものの力であると思ったし、プリパラのライブシーンにはそれだけの個性と魅力、技術とセンスが備わっているのだと、改めて実感しました。

WITHのライブが確かに「プリパラアイドル」らしくあったことは、女子と男子、カワイイとカッコいいはグラデーションに過ぎず、決して分断されるものではないのだと、そう思わせてくれるものでした。そして男子と女子の合同ライブの司会を、グラデーションの狭間に位置するひびきとレオナが務めるという、少しわざとらしいくらいのシークエンスもまた、これまでプリパラが二人の物語を積み上げてきたからこそ出来たものだと思います。
私は決してプリパラがジェンダーフリーの意識が高くて素晴らしいアニメだ、と言いたいわけではなくて、あくまでそれは結果に過ぎないと思っています。作り手がオリジナルなキャラクターを生み出そうとすること、それを生き生きと動かそうとした結果が、様々な個性への無言の肯定につながっている、ということです。今回の話はそうしてプリパラが積み上げた「個性の肯定」の集大成であり、そこから一歩先の価値観へ踏み出すものでもあったと思います。

かつてプリパラ第1話で「世界中に向かって届くように、思いっきり歌うぷり!ここではすべての女の子に、それが許されているぷり」というみれぃの言葉を聞いたとき、私は本当に感動したし、これは全ての女の子への解放宣言だとさえと思ったものです。けれどプリパラは四年目にして更に駒を進め、すべての「女の子」だけでなく、すべての「人」に許されているプリパラへとアップデートしようとしているのかもしれません。そして「ダンプリなんて」と思っていた私自身の考えや価値観自体が、プリパラのそれよりずっと古いものだったことにも気付かされた、そんな一話でした。

ところでこれは余談ですが、このグループ問わず「プリパラアイドル」に共通して感じる輝きとときめきを、一体なんて呼べばいいのだろう?と考えた時、これこそが「プリズムのきらめき」なんじゃないか、と思ったりしました。少なくともアニメにおいては、プリティーリズムとプリパラはまったく別のシリーズだと私は捉えているのですが、プリリズにおいて描かれた、子どもたちがそれぞれの「自分らしさ」と向き合い、見つけ出したそれをのびのびと表現する時に内側から放つ命の輝き。それこそが「プリズムのきらめき」であるなら、プリパラにおけるサイリウムコーデというのは、その内面の輝きを具現化させた衣装なのかもしれません。